日野原先生を想い・・
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が今朝亡くなりました。
105歳だったそうです。
最後は大木が静かに倒れるように
延命処置などは使わずに、家族に見守られて
ご自宅で息を引き取ったこと先ほどの会見で知りました。
100歳過ぎても現役の医師を続け
患者さんとはデータや検査に頼らず、症状やそのほかの話をすることで患者さんの状態や病名がわかるとお話しされているのをお聞きしたことがあります。
実は私も4年前、余命宣告された父の病気知った時
日野原先生の「生き方上手」で
どれだけの心が救われたか・・・
いのちとは何か、本質的な学びをしました。
人は想定以上思わず出来事があると
自分自身を見失います。
命のカウントダウンが始まった父を目の前にして
私はただただどうしたらいいのかわからず
というか
いつも一緒にいると思っていた父とのお別れという現実を
受け入れることができませんでした。
今でも覚えていますが
夜になると言いようのない不安が押し寄せ
真っ黒の渦に飲み込まれるような恐怖を毎晩味わいました。
数日して
自分は何が不安なのか?
何が怖いのか?自分の心の中に起きている
それを特定できてからは
徐々に今何をしたらいいのか?
考えられるようになっていったのを思えています。
そして
その時にこの日野原先生の「行きかた上手」の本と出合いました。
徐々に読み進めていくうちに
人はどのよう生きるといいのか
どんな人生がいきいきと生きると言うことなのか
私自身が命と向き合うことになりました。
人の命を救うことが医療だとしたら
私は連戦連敗、負け戦に挑んできて様なものです。
命を救ったつもりでいても所詮、命を先送りしただけのこと
いずれは事故や病で一人残らず死んでいきます。
死にゆく患者さんを前にして、
いのちに対してますます謙虚になるよりほかありません。本文より抜粋
自分がもう長くはないと悟った彼女は母親氏の別れの伝言を私に託そうとしているとき、
若かった日野原先生は「死にはしない、しっかりしなさい」としか言えなかった自分を後悔している。
なぜあの時「お母さんにはあなたの言葉を伝えます。安心しなさい」と勇気を持って言えなかったのか
脈をとるその手で、どうして彼女の手を握ってあげられなかったのかとつづられた文面を見て、
私は生前の父に「安心して、あとは任せて!」とはどうしても言えない自分がいました。
なんだかそれを言ってしまうと、父の死を受け入れたことになる。
一生懸命に生きようとしている父にとっては残酷な言葉と感じていました。
また、
本の最終章に書かれていた
「ありがとう」の言葉で人生をしめくくりたいものです。という教え。
地位や名誉は死ねばなくなる
財産も残したところで争いの種をまくだけですが
「ありがとう」の一言は残される者の心をも救う、何よりの遺産です。
この一文を読み
私ははらはらと涙が流れたのを今でも覚えています。
言葉にはならない
心に響く言葉でした。
この文面は
可愛そうな父、私が何かしないといけないという
救済や犠牲に満ちた毎日から私を解き放ってくれました。
私が何とかしなくちゃ。というおごった気持ちに気づき
父は大丈夫。という信頼に変わり
父に感謝してほしかったら
私が父にすべてのものに感謝しよう。
その気づきは父との時間を尊重できる
尊い時間になっていきました。
あの時
この本との出会いがなかったら
私は父とのお別れの時
「ありがとう」という感謝で溢れた思いにはなれなかったと思います。
さらにご活躍だと思っていた日野原さんが
天国に行ってしまったとのこと
なんだかとても寂しく悲しい気持ちでいっぱいですが
彼が残してくれた
いのちの尊さ
寄り添って生きるぬくもり
いきいきと生きるには
すべてを感謝で詰めくくるには・・・
私の心の問いは大きくなっていくばかりです。
私だけの満足ではなく
すべてが大きく豊かさで循環するために・・・
毎日が学びなのだと
今回の日野原さんを思いながら
またひとつ大きな行き先が見えた気がしました。
ご冥福を祈るとともに
心からの感謝をお届けいたします。