「私のことは誰もわかってくれない」
このような問題が起きた時
という
問題の一般的な解決方法は
コントロールしてきたことの検証や
相手に対しての
「わかってくれない」文句や
その反面
好かれるための努力だと思うのですが
私はこの感情セラピーを通して
今まで学んできたことのひとつ
コントロールされるのが嫌
コントロールする人は嫌い
それは相手の問題なので
私がどうにもできないという事実でした。
多くの人は
ここをどうにかしようと
改善策を考えます。
コントロールしているつもりではなかったことへ事情説明や
何故このようにしているかの説明や
このようにしてほしいというリクエストや
このように考えてほしいなどというアドバイスなどなど
実は私も過去数十年
相手を変える努力をしてきました。
でも
残念なことに
相手は変わりませんでした。
相手を変えようと
あれこれ策を立てても
100%相手は変わらないのです。
私の長年の経験から
それは確信に変わっています・笑
では、
相手は変わらないから
あきらめるのかというと
そうではなく
自分が変わることに意識を向けてきました。
相手が変わる確率があるのは
自分が変わった時だけです。
話を戻して
この時の私の問題は
①自分ルール
「私が好き=相手も好き」このルールが
崩れてしまったことへの不安
②コントロールしたつもりはないのに
そのようにとらえられた悲しみ
この二つでした。
まずは
この私の動いた感情を
フラットにするために
深い部分に隠れている思い込みを探っていきました。
① マイルールの不安は
私は自分でこのルールを作ることで
嫌われることからの回避策を立てていたのだと気が付きます。
ということは
人から嫌われることが
何より悲しい事
今までは
「私が好きだったら嫌われることがない」と思っていたのに
人から嫌われないようにするには
どうしたらいいの??と
グラグラしてしまったことが
「不安」に思う根源の問題でした。
「人から嫌われる」
何故こんなにここに骨子するのだと探っていくと・・・
小学生のころ
転校生だった私は
いつも独りで
仲間外れにされ
男の子にも女の子からも
いじめられていたことを思い出しました。
↑
(その当時はいじめられているとは思わず
後からの検証で
いじめられていたのだと
とても悲しかったのだと判明^^)
この小学生の私が学んだことは
みんなから嫌われると一人ぼっちになる
1人はさみしくて惨めな事
みんなと一緒でないと楽しくない
そんな思い込みが隠れていたことに
気が付きました。
その時の悲しみと惨めさ
そして
「私のことは誰もわかってくれない」という辛かった感情を
感情セラピーで癒し
温かい愛で満たされたとき
一番わかってほしかったのは
自分自身だったと気がついたのです。
この寂しさも
悲しみも
惨めさも
この大切な感情や
その奥にある理由。
私の中にあった大切な思いを
今まで気がついてあげていなかったのでした。
自分が1人になるのはつらいから
誰かも1人になるのはつらいだろうから
楽しい方へ
面白い方へ
多くの人を巻き込んでいた
それがコントロールに繋がっていたことにも気が付きました。
1人になることがつらいのではなく
嫌われることが
辛かったのだと
嫌われないために
楽しいことをしてきたのだと
「嫌われる」というのは
相手の判断で
どのようにも変わります。
たとえば
美人が好き、という人からすれば
その人好みの美しいと思う人は好かれるわけです。
美人は嫌い。という人からすれば
その人の解釈の美しくない人は嫌われます。
ん~~
相手の期待に応えるのは難しい!
「相手の好みに合わせないと
嫌われる!」
これ相当ハードル高くない??
そもそも
会ったばかりのその人の好みはわからないよね?
この方程式本当??
と検証していくうちに
そうそう
私、みんなの期待に応えることが
嫌われないことだと思っていたけど
それぞれの感性があり
それぞれの好みがあれば
その人一人一人に私が合わせるのは無理じゃない??と
気が付きます。
じゃ
誰に基準を合わせるの??
「自分の中心に基準を合わせること」
これが何より大事なのでと
大きな気づきをしました。
「私はこうゆう人」と素直に表現して
それが嫌いだという人は
それはその思いが大切じゃん。
相手に合わせて
私が努力しても
それが嫌だと言われれば
私はまたきっと戸惑うだろう。と
だったら最初から
自分基準を採用した方が
気持ちいいと思ったのです。
それと同時に
コントロールしてしまった私はダメだ!と
自分にダメ出ししていたことにも気づき
コントロールいいじゃん!
みんな楽しいじゃん!
でも
コントロールしなくても
みんな楽しいわ!と
コントロールする事にも
許可ができました。
自分をしっかり認め
癒したら
ここでやっと
相手のことを尊重できる私になりました。
世の中には
「1人で静かに楽しみたい人」
「自分の思いを尊重したい人」
いろんな人がいるよね。
そんな思いはお構いなしに
私の楽しさがすべての人に適応すると
「一緒にこれしようよ!」と
私がぐいぐい食い込んでいったら
安全な自分の領域を
なんだかわけもなく乱される。
自分の思いは尊重されない
でも、みんなは楽しそうにしているから言えない
でも、本当はとっても居心地が悪い
相手がそんな状況だったら
「満里子さんがコントロールしている」
「コントロールする満里子さんは嫌い」
こうなるよね~って
相手の気持ちも尊重できたのでした。
その考え方を採用して
月日が経ち
その相手の方と
今どうゆう関係かというと
前のように頻繁にはコンタクトとってはいませんが
お互いを尊重できる
素敵な関係を構築しています。
あの時
「コントロールする満里子さんが嫌い」と
発言してくれなかったら
もしかしたら
「嫌われることを恐れ」
人目を気にして
誰かの期待に応える人生を
今でも送っていたかも知れません
そして
「みんなが楽しむ私の考え方は正しい」と
どこかで主張し続けていたかもしれません。
そう考えると
本当に感謝です。
人生無駄なことは
本当にないですね^^
私は問題が起きた時
その問題をとおして
すべてのことに感謝できたら
それが本当の意味の問題解決なのだと感じています。